特に書くこともないから幼稚園時代のトラウマとか書いてみる

By: Nigel Quest - CC BY 2.0

2017年こそは働かないぞ、早く帰ってやる、そうして1時間あたりの実質の給与を上げてやるんだ、と伏見稲荷のお稲荷さんに誓った元日。
誓ったんだけど、今のところまったく上手くいかない・・・。
そんなことはさておき、久しぶりに気分転換目的でブログを書く。

・・・うん、書くネタがない。
サーバー代とドメイン代ももったいないし、なんか書いとこう。
って思うんだけど、書くことがない。

仕方ない、暇な時によく思い出すどうでもいいワタクシゴト(通称:どうでもインフォメーション)を書き連ねる。
で、いくつか思い出す中で、幼稚園時代のトラウマというか思い出を書いてみる。

ラッキーなことに幼稚園は私立で家から徒歩ですぐの場所にあった。
幼稚園とか小学校が徒歩圏内っていうのは割りと多くの人がそうだと思うんだけど、これが職場になると徒歩圏ではなくなる。しかもそれが当たり前になる。
ま、いいや。僕は3-5歳までの3年間、その幼稚園に通っていた。

話はそれちゃうけど(むしろそれっぱなしだけど)「保育園」というものを知ったのは小学校に上がってからだった。
小学生の時、「誰々ちゃんと保育園が一緒だった」みたいな話を友だちから聞いて幼稚園以外にそんなものがあるのか!と知った。
そして本当につい先日、保育園って幼稚園と比較すると下に見られる(こともある)というのを知った。
ソースは安定の2ちゃんねるまとめ。「ほいカス」という蔑称もあるとか。

「保育所卒」「団地住み」「一人っ子」←1つでも当てはまる奴wwww

ま、いいや。
幼稚園では初めてできた好きな女の子にあげようと、当時流行っていた「練り消し」と「香り玉」(香りのするビーズみたいなの)をお母さんにねだって買ってもらう、みたいな可愛らしい思い出もある。
ちなみにその練り消しは押し入れのヘリに置いておいたんだけど「水とりぞうさん」にやられて、カッピカピになったのは悲しい思い出。
(というか、上げるものなのに開封して遊んだワタクシ)

可愛い思い出を語ったのでよく思い出す悲しい思い出を書いておきたいと思う。

当時、なぜかカップラーメンやレトルト食品が大好きで、よく親にねだって「カレーの王子さま」や「チキンラーメン」を買ってもらっていた。
で、朝ごはんとか夕ごはんに出てくるのだ。
今思えばなんたる手抜き・・・!虐待だぎゃ!!

が、当時わたしはそれでハッピーだった。
そして最もハッピーにしてくれるのは「ケンちゃんラーメン」だった。
そんなケンちゃんラーメンがある晩私を不幸にした。

姉と二人で夜ご飯にケンちゃんラーメンをつくっていた時のこと。
もちろん当時は小さいので、お湯を注ぐのは母の役目だ。
姉とふたりでおまけのシールをみせあいっこしながらキャッキャウフフしているとき、お湯を注いだラーメンがひっくり返って僕の腿に思いっきりかかった。
ぎゃー!当然ギャン泣きする私。ぺろーんとめくれる腿の皮。思い出したら、またぎゃー!
母は風呂場でシャワーを当てて冷やしてくれた。

その後どうしたのかわからないけれど、最寄りの病院まで連れて行ってもらい、そこで塗り薬を塗ってもらい上からガーゼとネットを当ててもらった。
この塗り薬、冗談抜きで臭い。僕の中でこの病院といえばこの臭い塗り薬だ。
マジで臭い、信じらんない、ホスピタリティーのかけらもない、ほんとサイテー!!!

翌日からしばらく、ぼくは軟膏を塗り、上にカーゼをはり、固定するために白いストッキングを履いて登園した。
当時はストッキングなんて男が履くものではないという思いが強く、本当に登園するのが苦痛だった。
今となっては火傷したといってもストッキングはいたら完全に変態扱いされるのだ。
もっと楽しんでおけばよかった。

今でもふと思うのが、あの時ラーメンをひっくり返したのは誰だろう?と。
何となく姉じゃないかと思っているんだけれど、そんなの言ったら怒られそうで聞けない。
それに実は人のせいにする腐った根性は小さいときから持ち合わせていたので
何気に自分がひっくり返したのでは、と疑っている。
それとも母だったのかな?いや、姉と母ダブルだな。うん。僕じゃない。

なんだかまとまりもないし、たいして面白くないけど、書いていていくつか思い出してきたこともあるので次回につづく。多分。

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